自分史活用アドバイザー 桑島まさき

2008年5月に日本公開された「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」は、〈老い〉を描いた作品だが、喜びや悲しみを静かに描いた女性映画の傑作としても興味深く見た。
主演のジュリー・クリスティは、20代前半で早くも「ダーリング」(1968年)で英米のアカデミー賞をゲットしたオスカー女優で、次々に大作に出演した。その後、映画界から遠ざかったが、50代後半になってから久しぶりに出演した「アフターグロウ」(1997年)では、依然として変わらぬ美貌と品格で観客を魅了し再び話題を独占。そして、60歳後半になって主演した本作で「女は幾つになっても輝いていて可憐な存在」であることをその優雅な物腰で控えめに見せつけ、確かな演技力で再びオスカーにノミネートされた。その事実だけで十分に、年齢を重ねることに不安を抱いていた女性たちを勇気づけてくれた。

本作を「女性映画の傑作」と思うのは、脚本・監督を務めたのが4歳から芸能活動をはじめ既にカナダ国内で女優として揺るぎない地位を固めた「スウィートヒアアフター」のサラ・ポーリーが、本作を29歳にして撮ったという事実に驚いたからだ。ポーリーはクリスティと「あなたになら言える秘密のこと」(2005年)で共演し、本作への出演を執拗に依頼したという。29歳で、長年連れ添った老夫婦が離れ離れになる孤独や悲哀、夫婦の情愛を丁寧に描くポーリーの才能は絶賛に値する。
日本人の2人に1人が罹患するというがん。がん患者になった人は認知症にはなりにくい(らしい)。ちなみに、認知症は3人に1人の確率である……。

44年間連れ添った老夫婦がオンタリオ湖近くの家で静かに暮らしている。夫グラント(ゴードン・ピンセント)は元大学教授で、妻のフィオーナ(ジュリー・クリスティ)は夫の教え子だった。18歳で結婚した妻は、現在62歳。結婚を切り出したのは妻のほう。「一緒になったらステキだと思わない」という妻の言葉に「本当にその通りだと思った」と夫は話す。一緒に散歩し、クロスカントリー・スキーを楽しみ、一緒に料理を作って食べ、夜は本を読んで過ごす。ラブラブで悠々自適な老後を田舎で楽しんでいるインテリ夫婦だ。
しかし、夫婦の穏やかな日々は、フィオーナの物忘れや迷子になったりする事件の積み重ねで崩れてゆく。認知症を無視して残りの人生を送るわけにいかないフィオーナは自ら施設へ入居することを決める。女の潔い決断とは対称的に男の決断は鈍く、離れがたく現実を直視できない。

そして、1カ月後、妻に面会にいくグラントは妻の変化を知らされる。夫である自分を認識できず、施設内で親しくなった車いすに乗ったオーブリーと恋人同士のように仲良くなり心中穏やかではない。フィオーナの記憶の混濁は激しく、グラントを覚えている(?)日もあるが、明日はわからない。
さらに、オーブリーが施設を出て家で妻と一緒に住むことになると、引き裂かれた辛さからフィオーナは寝込んでしまい食事も喉に通らない。妻の恋を見守るしかない夫は、自分を思いだしてくれれば悲しみを忘れられると思い、自宅に連れて行くが効果はなく、思いあまってある決断をするのだった……。

クリスティは金髪をふっくらと結い上げ、皺さえも優雅さに変える。夫役のゴードン・ピンセントは病気の妻を献身的に見守り、存在を消される孤独や苛立ちを抱えながらも夫婦の歴史を振り返り妻への良心の呵責から永遠の愛を誓う、という複雑な役を好演してみせる。時々挿入される夫婦のエピソードから、実は昔、夫は幾度も女性問題で妻を傷つけてきた歴史が明らかになる。
美しい妻を愛してはいるが浮気癖はなおらず何度も妻を裏切り、妻は夫をその都度許してきた。認知症になった妻の記憶から苦しみの記憶は消えてしまったのだろうか? 自分を忘れられることは辛いが、妻の苦しみの記憶は消えればいい……と、全くもって好都合な願いを抱く夫。自分勝手な生き方のつけが老後に廻ってきたと思う夫……。

老後の問題は多くの方たちが不安を抱えていると思うが、本作は美しくも切ない夫婦の愛の物語として静かな感動を呼ぶ。

*「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」(2008年5月31日 劇場公開)
アウェイ・フロム・ハー 君を想う : 作品情報 – 映画.com