自分史活用アドバイザー 桑島まさき

2003年9月公開の「福耳」は、異世代の精神(心)と身体の交流をユーモラスに描いた作品だが、単なるドタバタコメディーでは終わらない、人生の教訓がさりげなく盛り込まれたしみじみ系日本映画である。
憧れのマドンナに恋心を伝えられぬまま死んだものの成仏できず現世を彷徨する幽霊の富士郎(田中邦衛)。彼に取り付かれる29歳のフリーター高志(宮藤官九郎)。厚生労働省によると、本作が公開された2003年はフリーター人口が史上最高の 217万人に達した年で、以後減少しているものの驚くべき数字である。
高志を宿主(ホスト)にして若い肉体をもって、マドンナに生前にはたせなかった想いを告白するウブで紳士的な富士郎。最初、当惑して自分の身体にジイサンが入り込み共有されるのを嫌がっていた高志だが、徐々に、老人の長年の知恵と経験の深さに敬服し、その老人力を自分の恋の成就にいかそうと共同戦線をはることにする。人気脚本家のクドカンこと宮藤官九郎の一人芝居がコミカルに描かれていて笑いを誘う。

物語の舞台は東京、浅草にあるシニア向けマンション、東京パティオ。パティオ内には介護施設が設置され、レストラン「タイムマシン」は洒落ていて食事時以外はイベント場として利用される。有料老人ホームといった風情だが、多くの老人ホームが身体的精神的介護を必要な人たちが入居するのに比べ、ここの住人たちは趣味や余生の楽しみに忙しく、第二の人生を謳歌している。皆イキイキとして個性的なキャラクターの持ち主ばかりだ。
ここには、2人がそれぞれ思いをよせる女性がいる。富士郎の相手はここに住む千鳥(司葉子)、高志の相手は、ナースとして老人たちを世話する珪(高野志穂)。高志は以前、ふとしたことから知り合った珪に一目ぼれし、彼女と一緒にいたいがために「タイムマシン」でのアルバイトをゲットした至極単純で世間を甘くみている男だ。

富士郎が恋焦がれるマドンナ千鳥こと司葉子さんは確かに年を経ったとはいえ、相変わらず美しく華があり、役柄ではしとやかで美徳を多く備えた女性として出演している。現代的な美人にはない(?)奥ゆかしさ、つつましさ、確かに懐かしいものを見たような気になってしまう。
千鳥が独身なものだから、パティオの男性住人は火花を散らし彼女を狙っている。幾つになっても恋心は健在。恋という感情が生じると老人であることすら忘れ直情的に突進する。人生80年、老人に恋心は不要なんて決めつけるのは失礼なのかも。その他、日本映画が輝いていた頃の映画人、宝田明、弓恵子などが出演し往年のスターの底力を発揮している。

人を恋しく思う純粋な心と老人力。パティオに集う人々の中で一番元気がないのは若者の高志という設定。これは、景気低迷で雇用状勢が悪化したためフリーターという働き方しか選択肢がなく自信喪失する若者が増えた当時の世情を反映している(ようだ)。
青春期に戦争があり高度経済成長期に企業戦士としてがむしゃらに働いてきた老人と将来に希望が見い出せず何でもすぐに諦めてしまう若者。
本作はそんな異世代の2人が身体を共有することで、仕事や恋愛や生き方に対するそれぞれの価値観を認め合う<異世代交流映画>としても見逃せない。
2人でひとつも遂にタイムリミット。富士郎が高志の身体から完全に消える日がやってくる。突然の別れに喪失感を禁じえない高志は、ジイサンの故郷を訪ね、自分が選ばれた理由の真実を知るのだった……。

富士郎が言うように、自分を信じる勇気を持って目に見えないモノにチャレンジし続けていけば、どんな結果であろうと<生きてきた証>の手ごたえはあるはずだ。やりたい仕事がないからといって希望を持つことを捨ててしまうのではなく、月並みだが、要はどう生きるかが問題なのだ!

※ 「福耳」(2003年9月13日公開)
福耳 : 作品情報 – 映画.com