自分史活用アドバイザー 桑島まさき

10月10日は「銭湯の日」。銭湯文化が根付いている東京下町エリアに住んで十余年、たまには銭湯でゆっくり寛ぎたいと思うものの、実は一度もこのエリアで銭湯に入ったことはない。近くにあった銭湯がいつの間にか閉店していて遠くまで行かなければならなくなったのだ。銭湯文化研究家の町田忍さんが、絶滅の危機にある日本の銭湯文化の現状を心配されていたが、現在、日本にはどのくらい銭湯が残っているのだろうか?
2001年7月に日本公開された中国のチャン・ヤン監督の新作「こころの湯」は、北京・下町の銭湯を舞台に、庶民の生活をドキュメントタッチで描いた作品である。

リュウ父さんの営む銭湯はいつも常連の客で大賑わい。リュウ父さんに妻はなく、彼を助けているのは知的障害を持つ次男アミン。長男のターミンは都会に働きに出てめったに帰ってこない。実のところ、ターミンは家業や障害を持った弟のことを恥じ、家業を継がずに実家と疎遠になっていた。そんな彼が久しぶりに帰ってきて銭湯を手伝うのだった……。
リュウ父さんはアミンと銭湯に通ってくる客のためにせっせと働く。この銭湯というのがタイトル通り、「こころの湯」的存在なのだ。まるで温泉そのもの。男たち(女湯のシーンはない)は、ポカポカ温かい湯の中で一日の疲れをとりリフレッシュする。昨日は他人同士だった者も”裸のつきあい”を通して自然と仲良くなっている。外にでると極度の緊張で得意の歌を歌えない青年は、ここでは荘厳なイタリア歌曲を歌いまくる。浴室の外では、常連たちがそれぞれの楽しみにふけっている。リュウ父さんの銭湯はマッサージ付きだ。囲碁や将棋を楽しむ人たち。女房子どもの愚痴をいいあう人たち。ここはまさに、人と人が本音で集う社交場だ。

閉店になると、リュウ父さんとアミンは2人で風呂に入る。客にとっては銭湯でも、この親子にとっては自宅の風呂だ。忙しい一日を終え、湯船に酒をおき徳利でちびちびやる。毎日マラソンをすることも忘れない。
それが終わるとご飯を食べる。どの中国映画でもそうだが、美味しそうなのに貧相にみえる食卓だ。食材といい見栄えといい申し分ないが、大皿にもった料理をド~ンと食卓の中央におき、ご飯茶碗を片手に持ちおかずをとって食べる。取り皿はない。作中では大きなキュウリ(?)をボリボリと齧りむしゃむしゃ咀嚼音をたてて食べている。
そう言えば官能的な恋愛を描いたウォン・カーウァイ監督の「花様年華」(2001年公開)でも主役のトニー・レオンは色気のない(百年の恋もさめるような)咀嚼音を出してご飯を食べていたし、「恋する惑星」(1995年公開)の時も耳障りな音をたてていた。
それはさておき、本作は冒頭に都会のど真中、見事にオートマ化された風呂が出てくる。
風呂といってもちょうど3分間写真をとるようなシステムだ。中に入ると上から横から突き刺さるようにシャワーが勢いよく出てきて、巨大なタワシがゴシゴシと人の体を洗う、といった具合の効率的なマシーンだ。

銭湯に集う庶民の生活を活写してきたチャン・ヤン監督は、豊かさとひきかえに消失してゆく文化(ここでは銭湯)をいとおしむかのように悲しい現状をつきつける。
都会に出没した風呂マシーンの存在など我かんせずに暮らしているリュウ父さんの銭湯も、近代化の波にはついていけず(諸事情があるのだが…)ついには手放すことになる。長男のターミンが、都会から戻り家業を継ごうという気になっていたのに、何と皮肉な展開だろう……。
しかし、どんなに拝金主義がさけばれても、世の中に物資が溢れ返っても、得られない人と人との情緒的な繋がりが、確かにこの銭湯に存在した。繁栄の意味を問いかける作品だ。
昭和には秀逸なホームドラマが多くあるが、なかでも「時間ですよ」は傑作だったなぁ~!

※ 「こころの湯」(2001年7月7日公開)
こころの湯 : 作品情報 – 映画.com