自分史活用アドバイザー 桑島まさき

中国を代表する映画監督チャン・イーモウは、日本の大スター、故高倉健を主演に迎えて「単騎、千里を走る。」(2006年日本公開)を撮ったこともあり、日本では親しまれている映画人である。私が最初に鑑賞したイーモウ監督作品は、「秋菊の物語」(1993年日本公開)。

舞台は山あいの小さな村である。
秋菊という身重の娘が、村のいざこざに関し、その潔癖なまでの正義感ゆえに筋を通すために何度も都会にある行政機関に抗議に行こうと試みる。重たい腹を抱えながら人力車に揺られ、やっとの思いで目的地に着いた時、露店ひしめく一角に中国の映画スタ-(アンディ・ラウやトニ-・レオン)のポスタ-が売られている。前情報なしでこの作品を鑑た私は、ここでようやくこの物語の時代設定が現代だということに気づき、驚いたのだった! 秋菊の着ている地味な服、住まい、山村のさびれた風景、現代を象徴するものはひとつも出てこない。それほどこの山村は文明から遠く離れたド田舎なのである。

※「秋菊の物語」(1993年6月19日公開)
秋菊(しゅうぎく)の物語 : 作品情報 – 映画.com

2010年、中国のGDPは日本を抜き、アメリカにつぐ経済大国となり、現在も経済発展を続けているが、富裕層と貧困層の経済格差は依然として顕著だ。13億人超の人口中、経済発展から取り残された農村部人口は9億人といわれている。

今回ご紹介する「あの子を探して」(2000年日本公開)の舞台も「秋菊……」同様、すご~い(!)田舎である。
村にひとつしかない学校のたった1人の教師が1ケ月休むため代用教員として選出されたのが、中学も出ていないウェイという14歳の少女だ。他に該当者がいないのである。村の学校は古く、建物は老朽化し、設備は十分ではない。村の住人の生活は苦しく、貧困ゆえに学校をやめ都会に働きにいく者も少なくない。
悲しい現実である。貧しさは無学をよび、無学は差別をよび、差別は貧しさへと悪循環は繰り返される。イ-モウ監督はそんな中国の現実に目を背けず、ドキュメント映画を撮るように、全く演技経験なしの子どもたち(ずぶの素人)を用い、村の現在を生きる子どもたちのありのままの姿を描きだし、感動的だ。

貧乏でも無学でも子どもたちは健気で元気溌剌として可愛い。皆がひとつになって「問題」を解決していくすばらしい団結力。一本のチョ-クにさえ人の心がこもっていると信じている少女の純粋さ。友だちを救うために皆がレンガ運びをしてバス代を稼ぐひたむきさ。打算や都合よく生きることばかり考えている大人にとって、人やモノに対するかけがえのなさが、心に沁みる。

イランを代表する映画監督である故A・キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」(1993年日本公開)の子どもたちもそうだった……。
物語は実に単純だ。少年が泣き虫の友だちのノ-トを返却するため(間違って持ってきてしまった)に、いそいそと出かけていく。バスでも自転車でもなく徒歩で、だ。少年は友だちの家を知らないので、なかなかたどり着けない。それでもノ-トを返さないと友だちは宿題ができない。そうなると、友だちは皆の前で先生に叱られ泣くだろう。少年の胸は痛む。
どんどん日が暮れていく。お母さんの手伝いもしなくてはいけない。少年なりの知恵を絞り出して「問題」解決しようと必死である。この「無垢」さが、健気で胸をキュ-ンと締めつける。

確かに私たちもそういう時代があった。でも、とっくに忘れてしまったか、遠い昔にどこかにおいてきたか(?)。大人になる代償として。その大事な忘れ物を思い出させてくれる宝物のようなお話は、昔つかっていたオルゴ-ルをあけた途端、懐かしいメロディ-を耳にした時のような郷愁を感じる。たまには懐かしい「あの頃」に戻り、かつての自分にあってみませんか?

※「あの子を探して」(2000年7月1日公開)
あの子を探して : 作品情報 – 映画.com