自分史活用アドバイザー 桑島まさき

現在では薄くて軽い携帯電話やスマホに高性能の写真機能があり、素人でも簡単に写真を撮ることができるが、かつて、人々は人生の節目に写真館に行き、プロの写真技術をもつ人に記念写真を撮ってもらっていた。本作「村の写真集」の劇場公開は2005年。当時、私はその数年前にデジタルカメラに買いかえて取材をこなしていた。コンパクトになったカメラは本当に便利だと思った……。

そう遠くない将来、ダム建設により村が消滅することに決定した徳島県の小さな村。これまでその地で暮らしていた人々にとって自分たちの生きた場所や歴史が跡形もなくなってしまうのは嘆かわしい。しかし日本各地にこのような憂き目にあっている場所は多い。本作の舞台となる「高橋写真館」は、そんな村にある小さな写真屋さんだ。

懐かしい時代にタイムスリップしたような気分だ。昔、宮本常一の「忘れられた日本人」を読んだ時、「昭和」という時代の残したモノにたくさん触れることができグッときてしまったが、それらが少しずつ失われてゆくようで寂しいと改めて思う。

そこには民俗学者・宮本が日本中を歩き回り、夥しい数の人々に会い、それぞれの土地の風習や人々の営みに触れ、撮った多くの写真が収められているのだが、これらの写真から立ち上ってくる空気や時代の匂いといったものが実に前時代的なのだ。昭和から平成の世になり30年弱なのにだ。進化は悪いことではないが、発展とひきかえに失われてしまった大切なモノがある。それはとても悲しいことだ……。

物語は、村をでて東京で写真修業に励むこの写真館の息子・孝(海東健)に、友人の村役場職員から電話で「消えてしまう村の美しさを永遠に残したいので『村の写真集』を作ってほしい、オヤジさんと一緒に」と依頼されたことから始まる。

孝は写真修業中とは名ばかりでアルバイトで食いつないでいる。父の研一(藤竜也)との確執がありめったに田舎には帰らない。そのオヤジと一緒に写真集を作ることなどできるだろうか不安を覚えるが、しぶしぶ引き受けることにし久し振りに帰省する。

天に向かって聳えたつ高い山々、山々にたなびく白い雲、歩くたびにゆらゆらと揺れる橋、その橋の下には清澄な水が流れる小川、段々畑、旅の本に紹介されているような豊かな自然が作り上げた美しい景観、故郷の細部が描かれる。こんなすばらしい村里がダムの底に沈むとはなんとも惜しい。

孝の実家には、今では父と妹の香夏しかいない。母は他界し、姉は数年前から都会で暮らしているらしいが親の反対を押し切っての上京なので音信不通状態。高校生の香夏が家事全般をこなし父のケアをしている。写真館は現存しているものの、開店休業状態だったが「村の写真集」作成にあたり研一は再びカメラを手にする。

父はカメラのはいった重いリュックを背負い、山間の険しい道を黙々と歩き、村の一軒一軒を丁寧に訪ね歩き、コミュニケーションを重ねた上で、じっくり写真を撮る。都会で写真修業をする息子にとってその作業は時間の無駄におもえイライラは募る。しかし、父は全く方針を変えようとしない……。

そこで思い出すのは「山の郵便配達」(中国映画/フォ・ジェンチイ監督)で描かれた、峻厳な道をのぼり手紙を届ける父と子の道行きだ。「山の…」の父は、目の見えない老婆のために自分で作った手紙を読んでやったが、本作の父は、そこで暮らす共同体の仲間たち一人一人に敬意を払い、厳しい道程にもかかわらずきちんと背広を着て、帽子をとって撮らせてもらったお礼をする。

それは、職人としてのプロ意識――どんなに便利なモノが登場しても技術がなければそれを使いこなすことができない。自分しか撮れないという絶対的な自意識――である。最初は父に反発していた息子は、その仕事ぶりを通して偉大さを発見していく。しかも、父は病を抱えているのに仕事をやり遂げるために人々を訪ねるのだ。息子は決定的に父に叶わないことを悟る。これまで気づかなかった父のことや自分に寄せる深い愛情なども。

本作は〈父と息子の物語〉であるが、同時に地道に仕事をこなしている人々の〈労働の物語〉でもある。

撮る側への絶対的な信頼から生まれるイキイキとした被写体の笑顔、最高の表情をとるすばらしい技術。それは宮本が残した膨大な数の写真を見ているようだ。写真監修として立木義浩があたり、小椋佳の音楽が彩りを添えている。父と子がひとつの目的のために成し遂げた作業は絆を確認する旅であり、故郷のすばらしさを再認識し後世に伝承する旅であった。

いつか地図から村の存在が消えても、写真集が“それ”を残す。そこにあった、確かな人と人の繋がり、温もり。故郷の記憶はいつまでも人々の心の奥深く残るだろう。

※2005年4月23日公開
村の写真集 : 作品情報 – 映画.com